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痛みの体験記

ここでは院長 江原 吉昭の痛みの体験記を紹介します。

幼少期から青年期

とにかく幼い頃から、痛み系の人間でした。
小学校高学年の頃は、よく深夜に両足の激痛で何度も目が覚めた記憶があります。

交通事故

20歳の時友人が運転していた車が、スピードの出しすぎでカーブを曲がりきれずに、

車が反転して天井から地面に叩きつけられ、病院に1週間入院することになりました。

その日は40度近くの熱が出ただけで痛みはありませんでした。

事故から3ヶ月

事 故から3月くらいしてからか?左の首のうなじ辺りになんとも言えない嫌な感覚が起こり始めました。
病院や色々な民間療法に行きましが、行く先々で異なるこ とを言われ、一向に良くなる兆しもなく、頻繁に起こる首の激痛。
それも自分で自分の頭が支えられない痛み。
痛みでまともに眠れない日々の連続。
その他に も、目が開けていられない程の眼精疲労で多くの医院や病院も受診しました。
結局、原因は不明と言われ、テレビすら見れずベットで横になる日が続きました が、目の方は、3月程度で楽になったと思います。

パニック発作

24歳の時、後輩を乗せ車を運転中に、突然激しい動悸と眩暈両手の痺れに襲われ、このまま死ぬのではないかと言うような状態になりました。
いわゆるパニック発作です。

近くの内科で自律神経失調症と診断されました。その時「これは必ず再発します」と言われた嫌な思い出があります。
しかし、幸か不幸か鍼灸整骨院への就職が内定していたので長期間休養することが出来ませんでした。
結果的に、ひきこもりにならなくて済んだのかもしれません。

鍼灸整骨院の仕事

し かし、電車は発作が起こればすぐに下車できるように各駅停車を利用。
車の運転はいつも手に脂汗と動悸の状態でパニックの恐怖と隣あわせでした。
私が勤務し た鍼灸整骨院は、大阪のオフィス街にありました。そこで私が見たものは、何度も腰や首を手術した人や、不定愁訴を抱え日常生活が満足に過ごせない多くの人達でした。
いわゆる西洋医学でサジを投げられたと言う患者さんと接する事になります。
自分がこのような状態になったらどうしよう?
当時はインターネットなど無く、情報はごく限られたものでしたから、不安が大きくなるばかりでした。

結婚

それ でも、体調も少しづつ回復していき、当時付き合っていた女性と結婚することになり、子供もすぐに出来ました。
そろそろまわりから開業したら?
と言うことを しきりに言われ始めましたが、体調も完璧には程遠く、その中で新しいことを始める余裕や自信もなく、正直なところ逃げ出したい気持ちが強かったのですが、 父は私が高校生卒業したと同時に定年退職し、母親がパートで働きながら大学と鍼灸、柔道整復の専門学校に行かせるため、かなり経済的に無理をしていたと思え、今更ギブアップを言い出せない状況でした。

開業と再発

開業後はいつも焦りと不安ばかりが優先していました。
開業して3ヶ月が経過した頃でしょうか?
夜に、しばらく身を潜めていたパニック発作が顔を出すようになりました。そのうちに全く眠れず、食事も喉を通らず凄い倦怠感が襲うようになり始めました。

今 思えば軽い鬱状態だったと思います。
とにかく、自分が倒れたら?働けなくなったら?家族にまで迷惑をかけてしまう。。。
働いていた時そのような人を数多く みてきた嫌な記憶がいつも頭の中にありました。
鬱の症状は波がありましたが、薬を飲みながらもだましだまし仕事を続けている状態でした。
時には、起きてい られないような倦怠感に襲われて仕事を休んだ時もありました。

次男誕生

開業3年経過して次男が生まれましたが2ヶ月の早 産で、10点満点の4~5点いわゆる仮死状態で生まれたが命には問題ないが、脳の障害が残る可能性が大きいと言われました。
毎日のように病院からかかる電 話で病院へ駆けつけ、色々な障害の可能性とリスクを伴う治療の同意書へのサインを求められました。

本当にこの時期は、不定愁訴と絶望感から何度死を考えたか分かりません。
死を選べなかったのは、まだあどけない長男や必死で生きようとしている次男、残された者にかかる迷惑を考えると思い切れませんでした。

MRI平 成12年の秋頃、またあの強烈な首痛が頻発するようになりました。それに伴い足の脱力感や痺れが出始めました。
我慢できる程度の腰痛ですが、同じ姿勢で立っていると脱力感で1分も立っていられません。
近くの整形外科でMRI検査をし、首の小さなヘルニアが見つかりましたが、手術するほどでも無いとの診断でした。

症状は酷くなるばかりで、整形外科ではすることもないし、来ても仕方ないとサジを投げられてしまいました。
途方に暮れ、京都大学付属病院の神経内科を受診しました。
脳のCT.筋電図等の検査でも、はっきりした原因が見当たらず、(原因はストレスですね)と言う答えの他は何も示されませんでしたが、首のヘルニアが原因で脚まで症状が来ているのではないとわかっただけで、気持ちは楽になったように記憶します。

色々な治療

その後、一時期は症状は無くなっていましたが、大きなストレスがかかったのを機に、また症状が強くなりました。
それからは、鍼灸、カイロプラクティック、オ ステオパシー、アメリカから最新のサプリメントを個人輸入したりもました。
咬み合せを専門に診る歯科医師には、咬み合せが悪いのが原因だから、それを治せば良くなると言われ、全く丈夫な歯を3本抜いたりもしました。
それでも良くならずに、医師には、顎の骨を削って噛み合わせを治せば良くなると勧められましたが、流石におかしいと感じました。
一体いくらのお金や時間を注ぎ込んだことか・・・
症状は一進一退を繰り返すうちに、両手の指先が思うように動かなくなり始めました。
今度は思い切って心療内科を受診し、安心する言葉を掛けて貰う事ができました。
診断は脳の過緊張が原因であり、心配しなくても必ず良くなると言うものでした。

あるホームページとの出会い

時は流れ、世の中はインターネットの時代になり、自宅でいろいろな情報を簡単に得られるようになっていました。
はっきり記憶にありませんでしたが、TMSジャパンの長谷川淳史先生のHPの中にある呪いと言う言葉に目が留まりました。
読んですぐに呪いの意味を理解しました。
呪いとは、医師や治療家に刷り込まれた、根拠のないマイナスな情報です。
更にネットサーフィンする間に、石川県小松市にある加茂整形外科のサイトにたどり着きました。
膨大なサイトを読みあさるうちに、自分の病気が、筋・筋膜性疼痛症候群であること、医師の説明や自分が学んできたことが、いかに時代遅れで、痛みの学問からかけ離れていることに気づくことができました。
するとそれまで何年も悩んだ痛みに一筋の明かりが暗い心の中に差し込んで来て、不安が小さくなり急速に回復していったように思います。

追記

今は痛くないのですか? サイトを見た方からそんな質問をよくいた だきます。
答えは、少し痛みはありますが、痛みに対する恐怖や不安はありません。
みなさんに伝えたいことは、痛みを全て取り切ることを人生の最終目標にしないで欲しいのです。
その先にあるものを掴んで欲しいのです。
その先にあるのとは、人生を楽しむことです。
それが、私の人生の最終目標です。
痛みがあってもできることはたくさんあります。
仕事もできます。
バイクも乗れます。
ゴルフもできます。
旅行にも行けます。
今でも薬に頼る日もありますし、睡眠剤を飲む日も多いですが、痛みの向こうにある多くの物を手にしていますから、もう治った!
と思っています。

 

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